オカダカエ

記事一覧(3)

【長岡京ガラシャ祭コラム②】戦国家族はつらいよ〜武士の娘はつらいよ編〜

前回の「武士の息子はつらいよ編」では、お家のために人生を捧げざるを得なかった武家男子のつらい実情をお伝えしましたが、つらくて大変だったのは女子も同じ。いえ、それ以上だったかもしれません。長岡京ガラシャ祭のヒロイン・細川ガラシャ(玉)をはじめ、一見優雅に見える武家のお姫様たちもまた、哀しい運命(さだめ)を背負って生きていたんです。恋も結婚もままならず“つらいよ”現代女性にとって結婚とは、交際を経て自分が決めた人とするもの、ですよね。しかし、戦国の姫君にそんな選択肢は一切ありませんでした。結婚はもっぱら、敵対する勢力同士の和睦や臣従のため、同盟関係を締結するため、さらに主君と家臣の主従関係を強化するための手段として、親同士が決めていたからです。細川ガラシャ(明智玉)と細川忠興の結婚も、父・明智光秀が主君の織田信長の勧めに従って決めたものだったともいわれています…。争いに巻き込まれて“つらいよ”もちろん政略結婚を強いられたからといって、お姫様がみんな不幸だったわけではないんですよ。長岡京の勝龍寺城で結婚生活をスタートさせた細川忠興・ガラシャ夫妻は大変仲睦まじく、結婚後まもなく子宝にも恵まれて幸せな日々を送っていたそうです。ただ、それも長くは続きませんでした。ご存知のとおり、明智光秀が本能寺の変というクーデターを引き起こしたために、ガラシャは逆臣の娘となり、丹後の山奥に幽閉されてしまったのです。このように戦国のお姫様は、事あるごとに武士の覇権争いに巻き込まれ、ときには命の危険にさらされました。ガラシャが心の拠り所を求めてキリスト教を信仰したのもわかる気がしますね。未亡人になっても“つらいよ”細川ガラシャは慶長5年(1600年)、夫の留守中に敵対していた石田三成の軍勢に屋敷を襲撃され、人質になることを拒んで家来の手により命を絶ちました。夫よりもずっと早くこの世を去りました。一方、戦や病気などで夫に先立たれた場合、妻はまたもや人生の大きな岐路に立たされるハメに……。未亡人のまま暮らすことは許されず、多くの場合、夫の菩提を弔う出家コース、もしくは親類縁者の勧めで再婚コースをたどりました。また、男の跡継ぎが誰もいないときに、亡き夫の跡を継ぎ、女城主となった例もあります。仕えるべき相手がいなくなっても自由に余生を送れないなんて、お姫様もつらいよ!武家の男子もさることながら、木の葉のように翻弄されっぱなしのお姫様の人生も決して楽なものではなかったこと、おわかりいただけたでしょうか。こんな実情を知ると、細川ガラシャにとって貴重な幸せのひとコマを再現した、ガラシャ祭お輿入れ行列にジーンと来てしまいそうですね。行列に登場する戦国ファミリーの面々に会いに、長岡京ガラシャ祭へ出かけましょう。□■infomation■□長岡京ガラシャ祭2018 11月11日(日曜日)行列巡行

【長岡京ガラシャ祭コラム①】戦国家族はつらいよ~武士の息子はつらいよ編~

今年もいよいよ長岡京ガラシャ祭のシーズン到来です! ガラシャ祭といえば、祭りのヒロイン明智光秀の娘・細川ガラシャ(玉)と細川忠興のお輿入れ行列が最大の見どころ。今年2018年の巡行は11月11日(日曜日)ですよ。華やかな装束を身にまとったお殿様やお姫様の姿はとっても優雅でステキ! 一度でいいからそんな身分を味わってみたい!などと思ったりしますが、戦国大名の家に生まれるって実は大変だったみたいです。華やかさと勇ましさの影に潜む、戦国ファミリーのつら〜い実情に迫ってみましょう。まずは武将から^^勉強漬けの毎日で“つらいよ”戦国時代、大名クラスの武家に生まれた男子は、武芸と学問のダブル習得が必須でした。いずれは一族のトップに立つかもしれない身。武芸はもちろんのこと、他国の武将や公家らと渡り合えるだけの知識や教養を身につけておかねばならなかったのです。そのため大名子息の多くは、教育機関の役割を担っていた禅寺に幼くして預けられ、勉強漬けの毎日を送っていたとか。遊びたい盛り、甘えたい盛りに……つらかったでしょうね。人生を選べなくて“つらいよ”大名子息が大変なのは、勉強だけではありません。戦国大名はたくさんの子どもをもち、息子たちを跡継ぎにしたり、戦略的に利用したりしました。他国と同盟を結ぶときに、わが子を人質として差し出すことも珍しくありませんでした。また、後から生まれた男子は跡継ぎ候補からはずされ、出家したり他家の養子になったりすることが多かったのですが、長兄らが早逝した場合は、突如呼び戻されて当主を任されるといったことも。何番目に生まれようと、お家のために翻弄される人生だったのです。大人になっても“つらいよ”さすがに大名まで昇りつめれば、自由を謳歌できるのでは?と思いきや、そうでもなさそうです。戦国時代初期の武将・北条早雲が残した家訓には、朝は寅の刻(午前3時〜5時)に起床して、行水をし、神仏に礼拝。その後、身支度を整えて、家の者に様々な指示を出し、午前6時に城に出仕するように、とあります。仕事が終わるのは午後2時頃。それから早めの夕食をとり、午後6時には戸締りや火の元の点検をして、午後8時頃に就寝するのが常でした。すき間時間も領地の管理や客の接待、和歌や茶の湯などの習得に励まねばならず、のんびり昼寝などをする時間はなかったようです。あぁ、武将って本当に大変!武家の男子は子どものときから想像以上にハードな日々を送っていたんですね。長岡京ゆかりの戦国武将、明智光秀や細川藤孝(幽斎)、忠興(三斎)親子もたくさんの努力と辛抱を重ねてお家と領地を守ったに違いありません。さて、次回は「武士の娘はつらいよ編」と題して、細川ガラシャが生きた時代のお姫様にクローズアップしますので、こちらもお見逃しなく!□■infomation■□長岡京ガラシャ祭2018 11月11日(日曜日)行列巡行